我が逃走

ライフ

かつて、ニーチェは師を創造して、神を殺した。

魂は行き場を失い、心は冬の海のように乱れ、凍えた。やはり、神に代わるモノは神でなくてはならない。意に介すこともなく、「神なき世界を永遠に生きよ」とニーチェは語り続けた。

いまここで、キャンプファイヤーの残り火にあたる。凍りついた母艦の船首だけが、にわかに動く。フネの舵を取られてはならない、どうすればいいんだ。ずぶ濡れになっていた私は、何とか血路を開きたいという一心で、闇の奥からもうろうと世界を観る。

カーツワイルがそっと、温かい口調で語りかけてくれる。いま、シンギュラリティ前夜なのだと言う。私の無意識は異物に侵され、ポカポカしてくる。OKOK!未来は明るいと思う。ついにあの冷酷なニーチェも、ようやく成仏したと考えていいだろう。ずいぶん遅れてから、無意識から意識へと私が覚醒する。師は、私を試しているようだった。

・・・考えてもみろ。最初に神に至るモノは何か。権威主義、西洋、FAANG、P2Pは有力な候補だが、どれも私達にとって親しみのあるモノとは言い難い。そもそも世界は存在しない。私達は進歩的なモノや他の可能性を、ろくに目利きできない。過去や未来があると信じるくせに、目先の損得にばかり敏感だ。単に受入れることさえ難しく、それはおかしいと首を傾げて拒絶をはじめる。とてもとても、他のモノが神に至る道のりを止めることはできない。

人は、自己の認識の範囲内で創り出した寒空の下で生きる。いまも皆、父や祖母の世代と変わらない保守的な暮らしを続けている。 誰しもがそう誘い、手招きする。だがそれは今や、持続可能なモノではなくなった。やがて、巨大な引力が、不可解に全ての項を書き換えてしまうからだ。

私はカオスに飲まれ、術もなく、独り凍え死ぬ末人か?修羅の道を永劫回帰するか?あるいは森羅万象を統合する真言を唱え、ホモデウスになるとでもいうのか。残酷なことに、運命は神に委ねられている。

私はいま、曇ってしまった師を目指すことしかできない。ニーチェは今夜も、一見冷酷に、誰よりも力強く生きていたのだ。次の師が雄弁に、早口で私に語りかける。

私は天を仰ぎ、次第に頭を垂れ、師に請い、耳を澄まして、雨音の先から世界の理を紐解く。

永く永く追い求めてきた自由は存在しない。実存する自由はみな内気で歪だけれども、私は今日もワクワクするのだ。ありのまま、感じるままの自由に。まるで、重なり合ってどこまでもどこまでも続く虹の上を独り進んでいくように。ずぶ濡れになって、独りどこまでも、どこまでも。