【ランチェスターで斬る】一の谷、屋島の戦い

ランチェスター戦略

歴史事例として一の谷、屋島の戦いからランチェスター弱者の戦略をどのように実践すべきか、みていきたいと思います。

弱いこひつじ
ランチェスター戦略は経営戦略ですがもともとは軍事戦略だから、過去の合戦に当てはめることができるのですね。

それでは早速本題に入ります。

歴史事例:一の谷、屋島の戦い

決戦当時、平氏が日本全国の半分を直轄地として支配しており、残りの半分も平氏の勢力下にありました。まさに「平氏にあらずんば人にあらず」と言われた時代ですね。

そんな中で、平氏に反旗を翻したのが源頼朝を棟梁とする源氏です。さらにその軍司令長官として頼朝の異母弟である源義経が頭角を表します。

平氏の総帥・清盛は病死しましたが、本拠地の福原で勢いを盛り返し、その隣の一の谷(今の神戸)に陣を張って源氏を待ち受けます。これが一の谷の合戦です。

一の谷は山が海に迫った浜辺です。南面には瀬戸内海があり、平氏の海軍万全の体制で布陣しています。当時の源氏には海軍はなく、戦いになりません。東西は細い海岸線づたいの浜辺で、兵を広く展開することができないため、平氏に攻め入っても各個撃破されてしまうのです。残る北面は兵を展開するのが困難な山岳地帯ですから、一の谷は、攻めるに難く守るに易い、自然の要害と言えます。

しかし義経は、尋常ではないことに北面の山岳地帯を越えて奇襲突入するのです。世に言う「ひよどり越え」・「逆落とし」です。騎兵機動部隊による山越えによる猛スピードの攻撃は、常識外の戦法でした。

これに対して平氏はなすすべなくもなく、一の谷を離脱し、四国高松の沖合いにある屋島に逃れます。屋島は平氏の海軍の根拠地で、島のまわりを軍艦で囲み義経軍を待ち受けます。

しかし、またもや義経は平氏の常識外の方面から奇襲攻撃をかけるのです。義経は高松から遠く離れた阿波(徳島)の勝浦に上陸し、陸路高松を目指して高松から騎兵のまま海に乗り入れ、屋島に上陸したのです。四国と屋島の間は狭く、潮の満ち引きの関係で騎乗のまま渡海できたのです(高松と屋島は現在は陸続きです)。

平氏は義経の奇襲戦法に2連敗し、最後の決戦の地「壇ノ浦」に追い込まれていくのです。

一の谷、屋島の勝因分析

一の谷、屋島における義経の勝因は、騎兵機動部隊による奇襲突撃です。奇襲が成り立つ条件は、敵に味方の攻撃意図を知られないことです。それを実現するのは、圧倒的なスピードが不可欠です。

騎馬武者が険しい山岳地帯を駆け下りる。海を渡る。こんなことは、優れた馬とそれを乗りこなす優れた乗馬技術がなければ絵に描いた餅です。ランチェスター的にいうなら、それが武器なのです。ではなぜ義経はこのような強みを発揮できたのでしょう?

義経は奥州平泉の藤原氏に支援されていました。奥州は当時の馬の本場。関東の源氏より以上に、優れた馬と乗馬技術があったと思われます。その結果、常識では超えられない山や海を越えたのです。

こうして戦場選びに成功した源義経は、奇襲突撃という一点集中攻撃によって平家を敗北へと追い込んだのです。